戦艦大和から現代に至るまでの驚くべき技術発展の速さを感じよう(距離計測技術とアンテナ)

戦艦大和から現代の技術へ

ここでは、その時代の技術レベルのを示す戦艦大和で使用された技術が、その後、現代に至るまで、どの程度進化しているのかを紹介します。

今回紹介するのはこの範囲です。アンテナ(赤枠部分)と測距儀(赤塗部分)

砲撃目標距離の測定設備である15m測距儀

戦艦大和で使用されている砲撃目標までの距離を測る方法は、三角測量といい、以下のように棒の両端から砲撃目標位置を見たときの角度α、βから三角関数を用いて測定する方法でした。この方法は1860年以前、伊能忠敬の時代から戦艦大和の1950年の90年間にわたって使用されていました。戦艦大和においては、砲撃対象まで照準を合わせる際、人の目視に頼るため、砲弾距離42kmで100mの誤差があったと言われています。

大和の時代から70年経った現代では、衛星を介してレーザや電波による位相差で、現在値との距離を測定し、その精度は42 km以上でも誤差20㎝未満です。

敵を見つけるためのアンテナ(電波探信儀)

アンテナもまた、小型化へとてつもないスピードで進化を遂げました。アンテナは+-の電荷の入れ替わりで空間に電子の振動が電波として伝わる仕組みとされています。しかし、その基本原理は未だ明確に解明されていないという発展の途中段階の技術です。

アンテナのサイズは使用する電波の波長によって決定します。戦艦大和で使用されていたアンテナは、以下のようにアンテナの歴史としては最も初期段階の構造で、電波の半波長のサイズが限界でした。

複数の金属棒を重ねることで位相変化した電波が受信部で重なり電波の受信強度が増大する技術(八木・宇田アンテナ)を取り入れ、アンテナ性能が現代のような目的にも使用可能なレベルにちょうどなったところでもあります。

その後、少し時間が経つと、等電位面に電荷が集まり仮想的に反対のアンテナ部分が存在するかのような現象(鏡像法)用いられ、アンテナサイズは、電波の半波長の1/2のサイズが可能になり、さらに、形状が変化することでコンパクトになってゆきました。パラボラアンテナにも使用されるようになります。

現代では、誘電体を周りにまとわせることで、アンテナサイズを最小で、電波の半波長の1/27にできます。さらに使用する周波数も、戦艦大和の1950年時代は800MHz程度でしたが、現代では27GHzまで上がっています。

この他にも、タービン技術や照明機器など、現代技術と比較すると、技術はとてつもないスピードで進化していることを感じることがたくさんあります。

もし機会があれば大和ミュージアムへ足を運んでいただければと思います。

現代と比較してどう変わっているかといった視点で見ることで、時代の変化が感じられる発見がきっと見つかり楽しめると思います✨

コメント

タイトルとURLをコピーしました